稽留流産の記録
年が明けて大きな本番をひとつ終え、それから間もなく、妊娠していることに気がついた。
わかりやすい体の変化はなく、思い返せばお腹下してたなとか、本番中やたらと寒くて全身強張ってたなとか、ちょっとした違和感に全部合点がいくという感じだった。
喜び勇んで受診した産婦人科で、胎嚢(=赤ちゃんの部屋、袋のようなもの)を確認。ごくごく小さい胎芽(=のちに胎児になるもの)も見えた。心拍が確認できるほどには育っていなかったから、次の予約をして帰ってきた。
想像していたよりもずっとずっと嬉しくて、もう色んなところで、おーーーい赤ちゃんができたぞーーーーーーーー!!!!と叫んでまわりたい気分だった(しないけど…)。さっそくエコー写真を見せた夫も、こんなに嬉しいものなんだね…と涙ぐんだりしていた。
ただその一方で、これ本当に大丈夫なんかな、という気持ちが既にあったのも事実で、つわりが軽すぎるというのも何だか心配だし(※)、次の受診が近づくにつれて、嫌な予感は大きくなっていった。(※つわりが軽いと駄目というわけではない。問題なくても軽い人は大勢いる)
迎えた次の受診日は久しぶりに雨なんか降ってて、最初からちょっと嫌だった。
胎嚢自体は大きくなっていた。中に、ネズミみたいな形をした白いものが見えた。
「これが…赤ちゃんなんだろうね〜…」「心臓が動いてないね…心臓の病気か何かで、大きくなれない子だったのかもしれないね……4mmくらいかな…先週ぐらいまでは恐らく心臓動いてたと思うんだけどね…」「念のため週明けにもう一度診てみよう」先生がプローブを動かしながら暗すぎないトーンで続け、私は合間合間で「あ〜」とか「そうですか〜…」とか相槌を打ってみるもショックでショックで、でもどこかで(やっぱりか…)みたいなのがあった。不思議だな、母親って。
一応持って帰る?と先程のネズミの写真を差し出して下さったので、貰って帰ってきた。診察室ではまあヘラヘラしていたが、ロビーに戻るや否や涙が堪えきれなくなった。他の妊婦さんをできるだけ見ないように窓の外を見たら、はっきりした雪が降っていた。
受付でもう一度ヘラヘラして病院を出たものの、今度こそガキんちょの様にわんわん泣きながら帰宅した。
2,3日はもう、ふとした拍子に涙がぼろぼろ溢れてくるという具合で全然ダメだった。ただ、レッスンもあったし本番もあったから、上手く気を紛らすことができたと思う。
どういうわけか、ある日を境に吹っ切れたというか、まったく泣きもしなくなり、次の受診時は極めて冷静でいられた。
何だか胎芽が小さくなった気がする!と思い、そのまま先生にそう伝えた。
「そうだね。溶けちゃうからね〜」
何なんだそれは。怖いぞ母胎。どうやら、亡くなってしまった胎児は少しずつ母親の体に吸収されてしまうらしい。えー!何それすごい!
斯くして、私の稽留流産は確定した。
流産にはいくつか種類があって、稽留流産(けいりゅうりゅうざん)というのは、胎嚢の中で赤ちゃんが亡くなってしまったものの、体外に出てこずに留まっている状態。母親にも自覚症状(出血とか腹痛とか)がない場合も多い。
放っておけば出てくるが、期間がまちまちな上に大量の出血と激しい腹痛でとんでもない事態になることもあるので、掻爬手術で取り出すのが一般的なようだ(自然に出てくるのを待つ人もいる)。
それからはもう、生まれて初めての手術にビビり散らかして検索魔と化した。
手術に関しては別記にしようかなとも思ったが、どのみち長ったらしい記事になるのでここに一緒に書いてしまおう。
念の為、食事中には読まない方が良いかと…。
手術そのものは全身麻酔で行うためその間は痛みを感じないが、麻酔前に行われる処置が「痛い医療行為の五本指」に食い込むとも言われる、子宮口の拡張。
ラミナリア桿と呼ばれる↑こんな器具を子宮口に挿入すると、数時間後には水分を吸ったコイツが膨張して子宮口を拡げてくれるという寸法だ。
やめておけばいいのに、かなりの人数が「ラミナリア 痛み」とかで検索をしているらしく、ラミナリア と打つだけで、その後に何とも無惨な語句が続々とサジェストされる。
流産するまで見たことも聞いたこともなかった器具だ。分娩前に使ったりもするらしいが。
そんなことばかり考えていたからか、手術が決まってからわずか4日間がとてつもなく長く感じられた。
我が子を喪った悲しみに加えて、何なんだその拷問は。腹も立って来た。
自分の普段の行いが悪いせいか…(※)とも思いかけたが、それじゃ全く悪いことしてないのに流産してしまった大多数の女性に失礼だ。赤ちゃんもかわいそう。己が罪は己で完結させておこう。
(※ちなみに、妊娠初期の流産は赤ちゃんの染色体異常が原因であることがほとんどで、受精卵の時点でほぼ運命が決まってしまっているようだ。だから、どんなに大事にして過ごしていても駄目なときは駄目だし、好き放題していても育つ子は育つらしい。)
もう一つちょっと悲しかったのが、つわりが少し重くなってきたこと。
赤ちゃんはもう生きてなくても、体はまだ妊娠していると思い込んでる状態なので、妊娠週数に見合った症状が出てくるということだ。
もっとも、精神的にショックを受けたから一時的に気分が悪くなっていたのか、本当につわりがピークだったのかは判断しかねるのだが。
運が良いことに手術日は夫も休みだった為、送り迎えを頼めた。
恐怖の前処置を手術前日に済ませる病院もあるようだが、私の場合は当日の朝に行った。
落ち着け落ち着け、どんなに痛くても多分2020年春の腰痛(※)よりずっとましだから大丈夫、死なないから平気、そんな事を念じてたらマジで大したことなくてキレそうに…いやほっとした。先生の腕も良かったのか、正味2分も掛からなかったのではないだろうか。馬鹿みたいに検索して恐れ慄いてた時間を返してほしい。爪が伸びた我が家の猫にフミフミされるほうがまだ痛いぐらいだ。
(※ぎっくり腰歴20年以上の自分が初めて、痛すぎて泣いた腰痛。原因は不明)
ラミナリア 痛み で検索してここに辿り着いた女性がいるなら、どうか安心してほしい。大丈夫だから。
ただ、普段生理痛がほとんどない人は、不快感もあるし痛く感じるかもしれない。
生理痛が1番辛い日によく生じる、子宮をダイレクトにちくちくされてるあの感覚に近い。
ただ私が挿入されたのがラミナリアだったか、ラミケンやダイラパンだったのかはわからない。聞かなかった。
病室に移され手術まで待機。ラミナリア挿入後の違和感もなく、ひたすらスマホを弄って過ごす。左腕にがっつり点滴を刺されているから動きにくい。
個室で良かった。
案外早く手術室に移動になり、私が手術台に寝るのがヘタクソ過ぎてひと笑い起こったりなんかして、心電図繋がれたり筋肉注射打たれたり、無事にまな板の上の鯉になった。手術室の「あのライト」とバッチリ目が合っている。もう身を任せるしかない。
腕や足の位置は固定される。
処刑かな?
「お待たせ〜」とか言って先生が入ってきて、比較的カジュアルに手術が開始された。
あの酸素マスクみたいなやつは付けないのか。結局最後まで、家から付けてきた不織布マスクを外さなかった。
腕に繋がれていたブドウ糖の点滴が静脈麻酔液に変わっていた。
じゃあまず3ml、という先生の声がする。
…ここで、予想外に緊張していきなり心拍が爆速になってしまって、それがとにかくめちゃくちゃに恥ずかしかった。既にこれ以上ない程あられもない姿で大の字になってるのに、そんなことがどうでも良くなるくらい恥ずかしい。雑魚丸出しだ。
(えーっこれ本当に眠るの。まだ意識はっきりしてるよ。考えてみたら私、まあまあお酒も飲める方だしあんまり麻酔効かないんじゃないの?どうしよう!?)
と思った矢先、視界がジワ…と霞んで、四肢のコントロール機能がものすごいスピードで奪われていくのがわかった。すごい。異次元に飛ばされる。麻酔、最初の3mlであえなくケーオー。キング・オブ・雑魚。
「何か…変な感じしてきた…」と呟いたら、恐らく先生が「変な感じしてきたでしょ」とか何とか返してくれたが、はっきり覚えていない。もう次の瞬間には手術室からストレッチャーで運び出されていた。これが全身麻酔か…!
病室に戻され、うねうねしながら少し眠る。下腹部が痛かったが、とにかくまだ眠いので、痛みに悶える暇もなく再度眠ってしまった。
起きるとブドウ糖の点滴が空になっていて、喉もカラカラに乾いていた。
ぼんやりした頭で、本当にさよならしちゃったんだな、と思った。準備万端にして、また戻っておいで。
朝からずっと担当してくれていた看護師さんが、お腹空いたでしょ、とスポーツドリンクとクッキーを持ってきてくれた。
クッキーはそこまで好きじゃないはずなのに、絶食明けだからか、おいおい!!クッキー美味すぎるぞおいおいおいおい!!!みたいなテンションで頬張ってしまった。
あんまり長く居たくないよね、と笑い、夫の到着後はロビーを通らなくて良いように反対口のエレベーターまで送ってくれた。
大事をとって、翌日の今日も、そして明日も休みをもらって自宅で文字通り転がっているが、心身ともにもう元気だ。
妊婦さんや赤ちゃんを見ても全然悲しくない。ただ、うわぁ良いなあ、と思う気持ちは妊娠前より強くなった。あと、凄いなあと。
流産してしまう確率は決して低くはなくて、初期の流産に至っては平均して15%だそうだ。6,7回妊娠したら1度くらいは流産することになる。
無事に出産するのは、思っていたよりもずっと難しい。
こうやって文章にするのもどういうものかな、と思ったけど、私にとっては大切な体験だったから、わざわざこうして残す事にする。
もう一度経験しろと言われたら嫌だけど。
たった2枚のエコー写真も、取っておくことにした。
そういえば、手術が決まった日の夜、トイレに大きめの蜘蛛がいた。
こんな季節に、しかも我が家では見たことがない蜘蛛だった。
逃がしてあげようかとも思ったけど、何となくすぐいなくなってしまうような気もしたし、そのままにしておいた。
それからやっぱり、見ていない。
わからない。どこかに潜んでるかもしれないけど。
壁掛け時計後日談
布マスク越しに口付けてみたり、ちょっと抱き締めてみたり、そういうセンチメンタルになるような行為をわざわざいくつか経て、燃えないゴミ袋にそっとしまったのが半月以上前のこと。
引っ越した。
普段、物を捨てるという事をしなすぎて、退居における断捨離の手の止めどころが全く分からなくなっていた。「引っ越しハイ」「断捨離ハイ」のような単語があるかどうかは知らないけれども、完全にそっち寄りの気に憑かれていたと思う。
とはいえ我が部屋には、圧倒的に要らない物…もとい、お役目を終えた物の方が多かったので、基本的には躊躇いなくゴミ袋に物を突っ込みまくったのは正解だった。完全勝利。私だって物を捨てられる。
ただ、その、わざわざ寂しくなるようなあれこれを演出しながら別れを惜しんだアナログの壁掛け時計だけが、気になった。毎日気になった。毎朝毎晩気になった。
無事に引っ越しが終わっても、リノベーション済みの可愛らしい一軒家でも、新しい生活でも、幸せいっぱいでも、美味しいパン屋さんを見つけても、気になった。
こういうのは初めてだった。
何か特別な思い出とか思い入れがある時計というわけではない。高くもないし希少でもなく、何ならちょっとダサく(いや、可愛いと思って買ったはずなんだけど…)、どこで入手したかも覚えていない。
それでもすごく長く一緒にいた。何度も引っ越しているけど、毎度捨てる事など微塵も考えずに、いつも荷物たちの中で一番最後に、私と一緒に部屋をあとにした。
今までとちょっと違う引っ越しだからって調子に乗って、新しい生活が始まるからって、捨てた。まだ元気に動いてたのに。
それがずっと気になって気になって、ああこれはこの先しばらく引き摺るやつだと思って、何とか自分を納得させようと「壁掛け時計 買い替え時期」とか「燃えないゴミ ゆくえ」とか調べに調べた。でも駄目だった。恥ずかしいけど本当にちょっと泣いた。こんなに悲しいなんて。
うじうじやってるうちに、明日はいよいよ月に一度の燃えないゴミの日で、それで…助けにというか、引き取りにというか、回収しに行ってきた。前の家に。管理人さんにお願いして、ゴミ置き場の鍵をわざわざ開けてもらった。
捨てた時と殆ど同じ状態で、ちゃんと時計はあった。除菌ウエットティッシュで何度か拭き取って、また新居に一緒に来た。暗くてじめじめして、あんまりいい匂いのしない所に半月も閉じ込めちゃってごめんね。ゴミ置き場よりはまだ私の部屋の方がなんぼかマシだろうな。おかえり。
かくして世界一ダサ可愛い時計は無事に私の元に帰って来た。拗ねて電池を入れても動いてくれなかったらインテリアとして飾ったろかと思っていたものの、すんなり動いた。今も微かな歯車の音がしている。これこれ。これが良いのよ。もう捨てたりしないから。動けなくなっても適当に私のサインでも入れてどっか飾っといてあげるからね。
ただの時計の話。