壁掛け時計後日談

布マスク越しに口付けてみたり、ちょっと抱き締めてみたり、そういうセンチメンタルになるような行為をわざわざいくつか経て、燃えないゴミ袋にそっとしまったのが半月以上前のこと。

 

引っ越した。

 

普段、物を捨てるという事をしなすぎて、退居における断捨離の手の止めどころが全く分からなくなっていた。「引っ越しハイ」「断捨離ハイ」のような単語があるかどうかは知らないけれども、完全にそっち寄りの気に憑かれていたと思う。

とはいえ我が部屋には、圧倒的に要らない物…もとい、お役目を終えた物の方が多かったので、基本的には躊躇いなくゴミ袋に物を突っ込みまくったのは正解だった。完全勝利。私だって物を捨てられる。

 

ただ、その、わざわざ寂しくなるようなあれこれを演出しながら別れを惜しんだアナログの壁掛け時計だけが、気になった。毎日気になった。毎朝毎晩気になった。

無事に引っ越しが終わっても、リノベーション済みの可愛らしい一軒家でも、新しい生活でも、幸せいっぱいでも、美味しいパン屋さんを見つけても、気になった。

 

こういうのは初めてだった。

 

何か特別な思い出とか思い入れがある時計というわけではない。高くもないし希少でもなく、何ならちょっとダサく(いや、可愛いと思って買ったはずなんだけど…)、どこで入手したかも覚えていない。

それでもすごく長く一緒にいた。何度も引っ越しているけど、毎度捨てる事など微塵も考えずに、いつも荷物たちの中で一番最後に、私と一緒に部屋をあとにした。

今までとちょっと違う引っ越しだからって調子に乗って、新しい生活が始まるからって、捨てた。まだ元気に動いてたのに。

 

それがずっと気になって気になって、ああこれはこの先しばらく引き摺るやつだと思って、何とか自分を納得させようと「壁掛け時計 買い替え時期」とか「燃えないゴミ ゆくえ」とか調べに調べた。でも駄目だった。恥ずかしいけど本当にちょっと泣いた。こんなに悲しいなんて。

 

うじうじやってるうちに、明日はいよいよ月に一度の燃えないゴミの日で、それで…助けにというか、引き取りにというか、回収しに行ってきた。前の家に。管理人さんにお願いして、ゴミ置き場の鍵をわざわざ開けてもらった。

捨てた時と殆ど同じ状態で、ちゃんと時計はあった。除菌ウエットティッシュで何度か拭き取って、また新居に一緒に来た。暗くてじめじめして、あんまりいい匂いのしない所に半月も閉じ込めちゃってごめんね。ゴミ置き場よりはまだ私の部屋の方がなんぼかマシだろうな。おかえり。

 

かくして世界一ダサ可愛い時計は無事に私の元に帰って来た。拗ねて電池を入れても動いてくれなかったらインテリアとして飾ったろかと思っていたものの、すんなり動いた。今も微かな歯車の音がしている。これこれ。これが良いのよ。もう捨てたりしないから。動けなくなっても適当に私のサインでも入れてどっか飾っといてあげるからね。

 

ただの時計の話。